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廿里古戦場(武田・北条軍激戦の地)
住所:東京都八王子市廿里町

 1569年、武田信玄は北関東に侵攻し武蔵滝山城に迫った。別働隊の小山田信茂も小仏峠を越えて滝山城に迫ったため、滝山城主・北条氏照が家臣の布施出羽守・横地監物・中山家範を出陣させたが敗走させる。余勢を駆って武田軍は滝山城を攻め落城寸前にまで追い込んだが、途中で小田原城に向かったため滝山城は難を免れた。
 この戦いで小仏峠を抑える重要性を感じた氏照が八王子城を築いたという。

(廿里古戦場跡。看板が立つだけで碑はない)
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感想:高尾駅から八王子城に向かう途中にありました。廿里は『とどり』と読みます。




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by tikugo | 2013-03-22 22:30 | Trackback | Comments(0)
八王子城(御主殿の滝・北条氏照の墓)
住所:東京都八王子市元八王子町3丁目

 北条氏照が1584~1587年頃に築いたという説が有力である。城が未完成のまま小田原征伐が始まり、前田利家・上杉景勝らの軍勢に1日で落とされた。
 現在は国の史跡に指定されている。

(入り口。日本百名城と刻んであるから最近建てられたのであろう)
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(トイレの近くに建っていた城趾碑)
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(城趾碑近くの南側の階段を降りて御主殿跡を目指す。最初にあったのが大手門跡。道は御主殿跡に続く大手道)
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(曳橋。当時は簡単な木橋が架かっており、非常時には壊して敵の侵入を防いだ)
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(正面から見た曳橋。当時はこの3分の1ほどの幅しか無かったという。橋の向こうに見えるのが御主殿跡)
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(石垣)
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(虎口)
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(冠木門。当時の復元ではない)
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(御主殿跡。南北40メートル・東西90メートルの広さで石垣が土塁に囲まれている。生活用品や武具は発見されたが、瓦が一枚も見つからなかったため板葺きの建物があったと考えられている)
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(御主殿の滝。落城の際に城兵や婦女子が自刃して身を投げたため、三日三晩赤く染まったとの伝承がある)
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 御主殿跡から本丸には直接行けないので、一回、城趾碑やトイレのある所まで戻ってそこから改めて登山。

(小田原征伐の際に近藤出羽守が守備したあしだ曲輪)
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(あしだ曲輪跡に建っている福善寺の観音堂)
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(小田原征伐の際に金子家重が守備した金子丸。今は本丸まで別の道もあるが当時はここを通る道しか無かった。この南側に遺構があったようだが見逃してしまった)
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(柵門台)
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(中の曲輪に建つ八王子神社。913年、修行中の僧の前に牛頭天王と八王子権現が現れたため、麓に八王子権現を祀った蓮華院を創建している。この伝承から氏照は城内に八王子権現を祀る当社を建てた。八王子という地名はこの権現の伝承から来ている)
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(小田原征伐の際に中山家範が守備した松木曲輪。家範は前田利家の軍勢相手に奮戦したが防ぎ切れず戦死した。その勇戦を聞いた徳川家康が遺児を召し抱えている)
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(小田原征伐の際に横地吉信が守備した本丸跡。当時、城主の氏照は小田原城にいて不在だった)
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(北条氏照の墓(中央)。1689年、氏照の百回忌に旧臣・中山家範の孫で水戸藩の付家老だった信治が建てた。右は家範の墓、左は信治の墓)
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感想:土日祝のみ高尾駅から入り口までバスが出ています。平日でもバスで八王子城跡入口の信号までは行けますが、そこから結構歩きます。まあ、そこからの登山に比べたら大したことはないですが…。
 そういえば中世の関東の城で石垣があるのを見たのって、ここが初めてかも。




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by tikugo | 2013-03-21 21:00 | Trackback | Comments(0)
極楽寺(玉田院の墓・長田作左衛門の墓)
住所:東京都八王子市大横町7-1

 浄土宗。1504年、鎮誉即也によって滝山城下に創建された。滝山城主・北条氏照が居城を八王子に移すと当寺も移転されたが小田原征伐の際に兵火で焼失する。その後、八王子周辺の代官となった大久保長安が当地に再建した。
 本尊の阿弥陀如来像は八王子市の有形文化財に指定されている。

(山門)
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(本堂)
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(墓地の一角に建つ仁科盛信の娘・玉田院(小督)の墓。武田家滅亡の際、武田信玄の四女・松姫と共に八王子に逃れ、長ずると大久保長安の助力で玉田院を建立し住した。墓は玉田院跡にあったが1715年、盛信の子孫・資真が現在地に移している)
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(山門から本堂に行く途中の参道脇に建つ長田作左衛門の墓。作左衛門は八王子の町割りを担当したといわれているが否定説もある。写真は1852年に親族が建立した供養塔)
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(鐘楼と門)
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感想:大久保長安は武田家の関係者に救いの手を差し伸べていたのですね。八王子市に行ってイメージが変わりました。




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by tikugo | 2013-03-19 21:00 | Trackback | Comments(0)
大久保石見守長安陣屋跡(産千代稲荷神社)
住所:東京都八王子市小門町82

 1590年、関東に移封された徳川家康は直轄地に代官頭を置いて領国経営を開始。代官頭・大久保長安も八王子に陣屋を構え政務を執った。長安は陣屋を構えるに際して、倉稲魂命を祀った産千代稲荷神社を創建する。
 長安没後に陣屋が無くなると畑地になったが、産千代稲荷神社だけはそのまま放置されたため大木が茂り『稲荷森』と称された。
 現在は周辺は住宅地となり神社も整備されている。

(鳥居)
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(大久保石見守長安陣屋跡の碑)
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(拝殿。神社の歴史が書いてあるパンフレットが置いてあった)
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感想:信松院から500メートルくらいしか離れていないので歩いて行けます。




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by tikugo | 2013-03-18 21:00 | Trackback | Comments(0)
信松院(武田信玄の娘・松姫の墓)
住所:東京都八王子市台町3ー18ー28

 曹洞宗。武田家滅亡の際、武田信玄の四女・松姫は難を逃れて八王子に落ち延びる。1588年、松姫は随翁舜悦卜山の弟子となり、1590年に信松院を開基した。
 寺宝の木造軍船のひな形は文禄の役の際に小早川隆景が使用した軍船のひな形と伝わる。

(入り口。三が日に行ったので何かを販売されてた)
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(1988年に建立された観音堂と舎利殿)
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(鐘)
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(茶筌塚)
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(武田信玄の四女(六女とも)・松姫の墓。織田信長の嫡男・信忠と婚約したが破談になったのは良く知られている。法名・信松院殿月峰永琴大禅定尼)
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感想:ここに甲斐から逃れる松姫の像があったらしいのだが、お墓を探すのに夢中で気がつかなかった…(T_T)




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by tikugo | 2013-03-17 21:30 | Trackback | Comments(0)
分倍河原古戦場(新田義貞の像)
住所:東京都府中市分梅町2-59-4

 1333年5月、上野で挙兵した新田義貞は小手指ヶ原の戦いなどで勝利し鎌倉に向かって南下。これを阻止するため同月15日、鎌倉幕府は北条泰家を大将として分倍に布陣し義貞を迎え撃った。
 一度は敗れ撤退した義貞であったが体勢を立て直し、翌日に泰家の軍勢を攻撃して勝利をおさめる。その後、義貞は鎌倉まで攻め幕府を滅亡させている。

(1940年に建てられた古戦場碑。時期的に政治的な臭いがしますねえ・・・)
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(分倍河原駅のロータリーに建っている新田義貞公之像)
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(像の近くにある碑)
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by tikugo | 2013-03-14 22:00 | Trackback | Comments(0)
下総佐倉城(土井利勝の居城)
住所:千葉県佐倉市城内町

 千葉氏の一族・鹿島氏が天文年間(1532~1555年)に鹿島城を築いたのが始まり(ただし未完成で終わっている)。1610年、土井利勝が当地に移封されると鹿島城跡に7年の歳月をかけて城を完成させ、佐倉と改名している。その後、城主は形原松平氏・大給松平氏・大久保氏など何度も替わるが、1746年に入った堀田氏が明治維新を迎えている。
 鹿島川と高崎川に囲まれた鹿島山に本丸が置かれ、その周辺を二の丸が囲み、東に三の丸、北に総曲輪がある。本丸には三重四階の天守があったが1813年に焼失した。
 現在は佐倉城趾公園として整備されている。

(大手門跡)
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(三の丸の端に建つ佐倉兵営跡の記念碑。佐倉連隊は太平洋戦争のレイテ島の戦いで多数の犠牲者を出している)
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(三の門跡近くにある空堀。サッカー出来ちゃうくらい広い)
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(ハリスの像。頭の上に写っているのは木です。当たり前ですけど、ちょんまげではありません)
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(佐倉城主・堀田正睦の像)
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(本丸の土塁)
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(本丸と夕陽)
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感想:家に戻ってから調べたら他にもたくさんの遺構があったようですが、時間と体力が無かったため断念しました…。




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by tikugo | 2013-03-12 22:00 | Trackback | Comments(0)
甚大寺(堀田正俊・正睦の墓)
住所:千葉県佐倉市新町78

 天台宗。1701年、山形城主・堀田正虎が城下に創建した。1746年に堀田家が佐倉城に移封される際に当寺も移されている。境内の奥には堀田家の墓が建つ。
 本尊の十一面観音菩薩は市の文化財に指定されている。堀田家六代当主・正順により金比羅大権現も祀られ毎月10日は参詣者で賑わう。

(入り口。本尊よりも金比羅大権現の方がメインのような雰囲気)
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(毘沙門天の像)
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(本堂)
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(堀田家墓所の入り口。寺の入り口の南にある)
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(墓所全景)
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(春日局の養子・堀田正俊の墓)
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(幕末の老中・堀田正睦の墓)
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(松江藩主松平不昧の娘、幾千子の墓)
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感想:本堂側から墓所には行けないようでした。境内が広いわけではないので一回道路に出てから改めて墓所に行くのが確実だと思います。




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by tikugo | 2013-03-11 20:30 | Trackback | Comments(0)
宗円寺(宗圓寺、香宗我部貞親の墓)
住所:千葉県佐倉市新町89

 臨済宗。1639年、堀田正盛が信濃松本城主時代に弟・堀田安利の菩提寺として建立した。正盛が佐倉城に移封される際に当寺も移されている。佐倉七福神の一人・寿老人が祀られている。

(境内)
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(六地蔵)
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(堀田家の執政・香宗我部家累代の墓)
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香宗我部貞親の墓(中央))
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感想:長宗我部関係ということで以前から行きたいとは思っていたのですが、なかなか行く機会が無くて…。今回、念願叶ってやっと行くことが出来ました。




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by tikugo | 2013-03-10 19:30 | Trackback | Comments(0)
松林寺(土井利勝の養父母と正室の墓)
住所:千葉県佐倉市弥勒町93ー1

 浄土宗。1610年、佐倉城主となった土井利勝が創建した。利勝が春日局から譲り受けた聖観音像を安置した観音堂が現在の本堂となっている。佐倉七福神の一人・毘沙門天の像も祀られている。

(本堂)
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(七福神の看板)
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(左から利勝の義父・利昌、中央は義母(母?)、右が妻の墓)
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感想:境内はさほど広くなかったです。明治時代に縮小したのでしょうか。




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by tikugo | 2013-03-09 21:00 | Trackback | Comments(0)