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玉造稲荷神社(豊臣秀頼の像) koneta
住所:大阪市中央区玉造2-3-8

 祭神は宇迦之御魂大神・下照姫命・雅日女命・月読命・軻遇突智命。紀元前12年に創建されたという。聖徳太子が物部氏と戦う際に戦勝祈願を行ない、戦乱後に観音堂を建立したと伝わる。
 1576年に兵火で焼失したが、1603年に豊臣秀頼によって再建され大坂城の鎮守神として豊臣家の崇敬を受ける。豊臣家滅亡後も徳川家の崇敬を受け、大坂城代は着任の際に当社に参拝している。

(入り口)
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(鳥居)
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(拝殿)
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(拝殿の側にある利休井。2006年にNPO法人「大阪城甲冑隊」らによって再掘された)
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(豊臣秀頼についての説明版。豊臣氏時代の大坂城築城の際に切り出された生駒山の石を使用している)
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(2011年に建てられた豊臣秀頼の像)
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(1603年に豊臣秀頼が奉納した鳥居。1995年の阪神淡路大震災で基礎が損壊したため、このような形で保存することになった)
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(当社の南西に利休屋敷があったことから建てられた千利休居士顕彰碑)
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(秀頼の胞衣が埋められたことから建てられた胞衣塚大明神)
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感想:秀頼の像はなかなかお茶目な感じで私は好きです。




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by tikugo | 2013-02-04 20:00 | Trackback | Comments(0)
普門寺(細川晴元の墓)
住所:大阪府高槻市富田町4-10-10

 臨済宗妙心寺派。1390年、設厳が現在本照寺が建つ場所に創建した。1561年、三好長慶に屈服した管領・細川晴元が幽閉されている。1566年、室町幕府14代将軍・足利義栄が2年間滞在し普門寺城と呼ばれた。
 一時衰退したが、1617年に龍渓が方丈などを建立し中興する。1655年、明の高僧・隠元が宇治に万福寺を開山するまでの6年間留まった。隠元は黄檗宗の開祖で明からインゲン豆をもたらしたと伝わっている。
 明治時代に入ると寺領や建物が失われ再び荒廃し、昭和になると無住の時期もあり荒れ果ててしまう。しかし1982年に方丈が解体修理され当初の姿に復元された。

(山門)
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(国の重要文化財・方丈)
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(方丈の前の庭)
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(瑠璃殿)
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(玉淵の作と伝わる枯山水庭)
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(細川晴元の墓。1563年、失意のうちに亡くなっている)
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感想:拝観には事前に電話での予約が必要で、拝観時間は13時半~16時半です。いきなり行っても入れませんので気を付けて下さい。
 たまたま見学に来られていた女性と山門で一緒になり、お寺の方のお話を一緒に聴くことになりました。




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by tikugo | 2013-02-01 23:00 | Trackback | Comments(0)
高山右近天主教会堂跡
住所:大阪府高槻市大手町3ー46

 1574年、高山友照・右近父子が池や庭園を備えた教会堂を建立した。庭園の一角には大きな十字架も建てられていたという。1581年の復活祭には一万五千人の信者が集まったと伝わる。
 1998年に高槻市教育委員会が行なった高槻城三の丸跡の発掘調査で当地から多くの人骨と木棺が発掘され、教会のキリシタン墓地であることが分かった。

(碑)
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by tikugo | 2013-01-31 21:00 | Trackback | Comments(0)
高槻城
住所:大阪府高槻市城内町2

 14世紀前半、入江春則が居城を構えたのが始まり。1569年、和田惟政が入江氏を滅ぼし高槻城主となったが、惟政の没後、息子・惟長が家臣の高山友照・右近父子によって追放されてしまう。
 1585年、右近が播磨明石に移封されると豊臣氏や徳川氏の直轄地となった。1615年以降、内藤氏・岡部氏など城主が何度が入れ替わった後、1649年に永井氏が城主となり明治維新を迎えている。
 1874年、京都~大阪間の鉄道建設に伴い建物は破却され石垣の一部が利用された。現在は高槻城趾公園として整備され二の丸跡には高槻市立しろあと歴史館が建っている。

(出土した石垣を利用して建てられた高槻城趾碑)
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(城趾碑その2。何を表しているのか良く分かりません)
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(高山右近像)
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(園内)
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(元工兵第四聯隊の営門。1909~1945年までここに兵舎が存在した)
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感想:近くの槻の木高校に遺構があったようですが、時間がなかったため公園を廻って立ち去りました。




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by tikugo | 2013-01-30 23:00 | Trackback | Comments(0)
野見神社(永井神社)
住所:大阪府高槻市野見町6ー6

 祭神は須佐之男命・野見宿禰命。宇多天皇の時代、病が流行り多くの死者が出た際「社殿を造り、牛頭天王を祀れば病が治まる」というお告げがあったため、牛頭天王社を建てたところ病の流行が終息した。その後、高槻城主だった入江氏や和田氏から崇敬されたが、キリシタンの高山右近が社殿を破壊して社領を没収したため、神体を山城国に避難させている。
 1615年、内藤信正が高槻に移封されると社殿を再建し社領を寄進した。1649年、永井氏が高槻城主になると明治維新まで永井氏の庇護を受けている。明治に入り野見宿禰命を合祀し社名が野見神社に改められた。

(鳥居)
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(拝殿?)
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(野見神社の境内に建つ永井神社の唐門。1793年、永井直信が初代藩主・直清を祭神として創建した)
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(永井神社の拝殿)
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(永井先公遺愛碑)
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感想:毎年4月24日に永井氏所縁の方々が永井神社に参拝した後、高槻市居合道連盟による奉納演武が行われるそうです。遺愛碑の近くで居合・・・、いや何でもないです。




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by tikugo | 2013-01-29 22:00 | Trackback | Comments(0)
高槻カトリック教会(高山右近顕彰碑)
住所:大阪府高槻市野見町2ー26

 キリシタンで高槻城主だった高山右近が追放された地・フィリピンのマニラ市に建つパコ教会を模して建てられた。

(教会)
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(高槻城主エスト高山右近之像。イタリアの彫刻家ニコラ・アルギーニの作品)
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(高山右近顕彰碑)
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感想:教会は行き慣れていないせいか、入る際に緊張しました。




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by tikugo | 2013-01-28 22:00 | Trackback | Comments(0)
本行寺(高槻城移築門)
住所:大阪府高槻市大手町2ー43

 日蓮宗。もとは岡本寺と寺号で別の場所にあったが、天文法華の乱や高山右近による寺社焼き討ちで焼失する。1596年、現在地に本行寺として再建された。高槻城主・永井氏の祈願所となり、1651年に本堂が改修されている。

(山門。高槻城の高麗門を移築したもの)
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(六地蔵尊とか鐘楼とかもろもろ)
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(本堂)
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by tikugo | 2013-01-26 22:00 | Trackback | Comments(0)
伊勢寺(和田惟政の墓)
住所:大阪府高槻市奥天神町1-1-19

 曹洞宗。三十六歌仙の一人・伊勢姫が晩年に当地で草庵を結ぶ。伊勢姫が亡くなった後に天台宗の寺となったという。戦国時代にはキリシタン大名・高山右近によって焼かれた。寛永年間(1624~1644年)に曹洞宗の寺として再建される。

(山門)
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(豊川稲荷)
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(伊勢姫の和歌、「難波潟 みじかき葦の ふしの間も逢はでこの世を 過してよとや」を刻んだ歌碑)
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(筆塚)
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(本堂)
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(六地蔵尊)
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(墓地の中腹に建つ伊勢姫の廟堂)
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(伊勢姫の廟堂の左を更に上がったところに建つ和田惟政の墓(中央)。惟政は高槻城主だったが白井河原の戦いで池田勝正に敗れ戦死した。享保年間(1716~1736年)、高槻城改修の際、墓石が見つかり当寺に移された。墓はご覧の通り、かなり風化していた)
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感想:上宮八幡宮の北側に位置するのですが、八幡宮が南に下る参道しかないため、かなり遠回りをしました。住宅街にあるため道は分かりづらいですが、案内があるため迷うことはありませんでした。




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by tikugo | 2013-01-24 22:00 | Trackback | Comments(0)
上宮天満宮(羽柴軍合流の地)
住所:大阪府高槻市天神町1丁目15ー5

 祭神は菅原道真、野見宿禰、武日照命。この辺りは菅原道真の先祖・土師氏が住んでいたと伝わる。993年、道真の没後に勅使として太宰府に派遣された菅原為理が京都への帰途、当地で牛車が動かなくなったため調べたところ菅原氏所縁の地と分かり野見神社の境内に社殿を建て道真を祀った。太宰府に次いで二番目に建てられた天満宮で、北野天満宮より起源が古いことから上宮天満宮の称するようになる。
 高槻駅から当社に続く参道周辺は天神の馬場と呼ばれ、1582年に明智光秀を討つため中国地方から戻った羽柴秀吉が中川清秀や高山右近と天神の馬場で合流し山崎方面に向かっている。

(入り口)
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(鳥居)
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(参道)
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(野見神社)
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(1656年、高槻城主・永井直清が建立した拝殿)
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(上宮型狛犬)
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(本殿と拝殿。本殿は1590年に秀吉によって建てられたが、1996年に賽銭泥棒の少年5人の放火により焼失する。しかしのちに再建された)
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感想:寺社の放火って現代でも結構あるんですね・・・。
 霊松寺の三好義興の墓から直接行こうとして当社の西側に着いたのですが、登り口が南側しかなく戻る羽目になりました(T_T)




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by tikugo | 2013-01-23 22:00 | Trackback | Comments(0)
霊松寺(三好義興の墓)
住所:大阪府高槻市天神町2-4-2

 曹洞宗。8世紀中頃に行基が開創し地蔵院と称した。1412年、松の下から現れた仏像を本尊とし建物を再建したため寺号を霊松寺に改める。正親町天皇や三好長慶の崇敬が厚く栄えたが、高槻城主・高山右近の兵火により焼失。江戸時代に再建された。

(霊松寺傘松地蔵尊。子宝、安産、子育てに効験ご利益があるという)
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(山門)
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(地蔵菩薩)
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(本堂)
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(長慶の息子・義興の墓。通称・カンカン石)
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感想:義興の墓は本堂とは道を挟んだ向かいの墓地にあります。他にも高槻城主・入江春正の墓があったそうですが分かりませんでした。




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by tikugo | 2013-01-22 23:00 | Trackback | Comments(2)