2011年冬香川県史跡巡り(1日目その3:石田城・国弘城・植田城)
 その2の続きです。

7.讃岐石田城・・・さぬき市寒川町石田東甲761。築城年代は不明。長宗我部元親の侵攻時には安富元綱(細川則弘とも)が城主だったが落とされている。現在は本丸跡が光明寺になっている。
感想:寺の周りには土塁や堀らしきものがあった。

(光明寺本堂)
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8.国弘城・・・さぬき市寒川町石田1928。応永年間(1394~1428年)に細川助弘が築城。末裔の国弘は織田信長・豊臣秀吉に仕えたという。1616年2月、真田幸村がここに逃れ細川氏に2年ほど世話になっている。幸村の息子・之親の娘は、国弘の孫を婿として迎え、孫は真田姓を名乗るようになったと伝わっている。遺構はない。
感想:ここは場所が分からずとにかく探し回った。近所の方に一緒に探してもらい、やっと見つかったよ・・・。お名前を聞くのを忘れましたが、本当にありがとうございました!
 細川氏は途中から国弘姓を名乗ったようだが、いつ頃からなのか不明。

(城址碑1。真田六紋会という団体が建てたらしい)
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(城址碑2。後ろに墓らしきものが見える)
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(真田氏が建てた神社だったと思う。城と関係があると近所の方が説明されていたのは覚えている。国弘城の南にある)
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9.植田城(戸田城)・・・高松市東植田町本村。築城年代は不明。植田氏の居城だったが、長宗我部元親に攻められ落城した。その後、戸波親武が城主となったが、四国征伐後に退去したため廃城となる。空堀・郭などの遺構が残っている。
感想:四国征伐の際に元親がこの城に讃岐方面軍を引きつけて殲滅しようとしたが、黒田如水に作戦を見抜かれたことで知られている。
 場所は分かりづらいが、近くの城集会所を目指して行くと良い。

(本丸跡)
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(堀切)
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(堀跡)
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(植田氏を祀る神社)
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 お腹が空いたのでここで休憩。昼食はもちろん讃岐うどん。

(行ったのは四国村にある『うどんのわら家』)
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(ぶっかけうどん)
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 その4に続きます。

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by tikugo | 2011-12-29 14:00 | Trackback | Comments(0)
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